「SAYURI」に関する一考察

フィナンシャル・タイムズ紙の酷評の覚書をid:hinakiukネエさんが、書いてくれたので、映画を見た立場として考察(笑)してみます。あ、断っておきますが、「最高だ〜!ハラショ〜!」と思っているわけではなく、「ま、あれはあれでいいんでないの!」という感じなので、よろしくー(笑)。

主役が日本人でないのはいかがなものか。工藤夕貴でええやないか。

  • 残念ながら、主役が工藤夕貴はちょっとつらいですね。日本で映画を作っても、工藤夕貴が主役になることはないでしょう。演技力は充分なのだと思いますが、「アジアン・ビューティ」?という設定ぽいんで(苦笑)。工藤さんすみません(汗;)。


まあ百歩譲って、日本人でなくてもええわ。でも、なんで日本人を主役にせんかったか、その理由がいかん。ハリウッドはチャン・ツィイーミシェル・ヨーのように、「観客動員数の保証できる」役者を配置したかっただけ。原作は、日本文化にかなり忠実に書いていることが売りだったのに、そろばんずくの配役をした映画により汚されてしまった。

  • 「観客動員数の保証できる」役者を配置したい、これは当然でしょうね。でも、もし渡辺謙ラストサムライに抜擢したぐらいのインパクトのある女優がいたら、オーディションで選んでいたと思います。あと、配役で汚されたということは、私的には、全くなかったです。前に見た「NANA」の配役が、今頃痛く思えたぐらいです(爆)。

ところどころ日本語が出てくるんだけど、それが変な文節で切ったりして、興ざめなことはなはだしい(この人日本語分かるのかね?)

  • 出てくる日本語は、ほぼ単語で、文であっても例えば「おはよう!」みたいな感じで、変な文節で切ったり、ということが何を指しているのか、わかりません。しかし、英語に混じって日本語が出てくるのには、ちょっと慣れなかった(訳すほどじゃない言葉に多い)。でも、よくある、英語と現地の言葉がまじる映画と同じなのかな?と思いました。

さらに、主役にほかならぬ「中国人」を配したという問題。日中間には不幸にも歴史的な軋轢があり、実際この主役を「国民としてのプライドのためお受けできません」と言って拒否した韓国人女優がおったんやて。

  • この韓国人女優は、芸者役なんていやー!ということだったのかな?中国人を配した事に政治的な意図などないと思うので、歴史的な軋轢を絡めて考える人がどれほどいるのか、いないのか、わかりません。どちらかというと、日本人からスターの座を取り上げたということで、誇らしく思ってもいいことだと思いますが、他の国の方がどう思われるかは、ニュースを見てても想像の範囲を超えてますのでわかりません。

それと、翻訳の問題。中国では「芸者」のことが「売春婦」というニュアンスで誤訳されており、映画全体もそういうふうに描かれていた。(ヒナキさんは、これに一番腹を立てた)

  • 映画では、この部分(芸者 Not イコール 売春婦)というところに、かなり気を使っているのがわかりましたので、ヒナキさん、心配はいりません!(笑)。しかし、「水揚げ」して大金が動き「旦那」になってもらう・・というようなことは避けられませんので、そう誤解をする人もいるかもな・・・って感じです。また、身売りされた2人の姉妹の内、器量のいい方は(さゆりちゃん)は、置屋で芸者の修行をすることになるのですが、お姉ちゃんは、そのまま女郎屋に連れて行かれるという可哀想な設定なのです。そこでも芸者はちがうんだ、と見せていたと思います。


サッカーより詳しい、SAYURIネタ、終わります!(笑)