キャラガーの自伝(My Autobiography)より:イスタンブールで15分のハーフタイムに本当に起こったこと

vamosmoro2008-09-07

リバプール公式 (元ネタ Echo
My Autobiography(9月11日発売かな)の中で、キャラガーは、初めて、神話のような15分間に正確には何が起こったのか、ベニテスの霊感を与える介入が、どのようにフットボールの歴史の道すじを変えることを助けたかを話しています。

人々は、HTの前のあの瞬間に俺の心の中に何が去来したかをたずねる。俺は、ドレッシングルームに向かって歩いている時、落胆と屈辱の憂鬱なコンビネーションに襲われていた。俺の頭を上げ、観客あるいはバナーに、Ataturkスタジアムに散らばる赤いジャージに顔をちらっと向けることさえ耐える事はできなかった。床を見て、終わりのない落胆だけを見ていた。俺の夢は、こっぱみじんに砕け散った。

俺は、もはやゲームについては何も考えていなかった。俺の思考は、家族や友人たちと共にあった。俺は、本当にすまなく思った。愚かな、一見ささいな考えが、俺の心の中に彼ら自身を散りばめた。「このことについて、家であいつらは、なんて言うだろう?」

家に帰る時の事を考えるだけで、笑い物にする評判が俺を不安にした。街中が、国中が、世界中が俺たちを笑い飛ばすように感じたんだ。悲しみに伴い不名誉な感覚があった。リバプールファンは、スタジアム中をしめていたのに、俺たちが償えることは何もなかった。

俺は、決勝まで来たことを、危うく後悔し始めるところだった。ユーベとチェルシーを破ったことで、すべてを成し遂げたように思えたことは、AC Milan を俺たちとは別のクラスだと認め、もしかすると、CLの決勝で、かって最も偉大なものとして勝利のマージンを保証しているということだった。

彼らは、ファイナルで、バルセロナとSteaua Bucharestを、1994年と1989年に4-0で打ち破った。そして今、俺たちが、悪い意味で歴史を作ることを恐れていた。5点か6点の負けの記録で終了をむかえる事で。3-0をキープし、最低限でもいくらかの世間体を回復する事が、今の俺に大切な事のすべてだった。

俺たちがドレッシングルームに帰った時、選手は何も言わなかった。リバプールの伝説における神話のような15分間が、俺たちの上にあった。しかし、そのようには感じなかったんだが。

このような状況におけるもっとも巧妙な試練は、ギブアップしないことの確保だ。俺たちの野望がズタズタになり、9ヶ月の苦しい仕事が大惨事で終わったことを受け入れる事は、俺たちにとっては簡単なことだった。精神的に俺たちは、理性を失っていた。しかし、この運命を受け入れる事は、俺の気質ではないとわかっていた。それが、どんなに最悪であろうとも、俺たちは、俺たちの責任に向かって行かなくてはならなかった。

幸運にも、その部屋の中に、たった一人、俺たちの打ちのめされたスピリットを回復させる準備をする分別のあるリーダーがいた。 Ataturk のドレッシングルームで、ラファ・ベニテスは、アンフィールドの言い伝えにその場所を釘付けにした。

その状況での彼の役割に対して俺の賞賛は、限りないものだ。ラファの振る舞いは、その状況にもかかわらず、ほとんど変わらなかった。彼の冷静な振る舞いは、決して今以上には必要とされなかった。個人的には、彼も俺たちと同じように感じていたのに違いない。彼も、彼の家族や、スペインの人々が彼のチームを激しく叩くことについて、思わずにはいれなかった。

ここで、彼はまだ、彼の英語と戦っていた。不可能を成し遂げることを俺たちに教えようとしながら。"Good luck," 俺は俺自身に思ったんだ。


続きは、超〜長いので、時間のある方だけどうぞ〜。あ、これが、あの試合のデータです。交代などを見ていただくと、話がわかりやすいと思います。

彼(ラファ)は、彼の変更を説明しながら、彼の感情を見せることはほとんどなかった。しかし、彼が一連の戦術の切り替えを作成したスピードは、彼がまだ、どんなにシャープかを示していた。

まず彼は、トラオレにシャワーに行くように言った。それは、彼(トラオレ)が交代されるプレーヤーであることを伝えるための、洗練された作法だ。ジブリル・シセは、右サイドでプレーすると告げられ、すでにキットを取り出していた。ジブリルが、彼のシャツを脱いだ時、一つの討論が、スティーブ・フィナンとフィジコDave Galleyの間で、起ころうとしていた。フィナンは、そけい部を痛め、Daveはラファに彼(フィナン)は、交代すべきだと告げた。

フィナンは取り乱し、そのまま出場させてくれるように嘆願した。ラファは、身動きしなかった。「私たちは、すでにキューウェルを故障で失ったので、残る交代は2つだけです」彼は説明した。「私は、今(交代枠を)2つ作ることを手放す事はできないのです。もしも、きみが留まるなら、私の最後の交代を失うのです」

トラオレは、彼のキットを再び着るように言われた。その時、あたかも一瞬で明快に決めたように、ベニテスは突然の決定をした。「ハマンがフィナンに交代し、私たちは3-5-2でプレーします」彼は、彼の声で毅然とした信念を示しながら説明し、せめて一時的にであっても、俺に自信を与えた。

ピルロが、ミッドフィールドからゲームを作っている。なので、私は、ルイスとスティービーには彼の周りでプレーし、中盤で彼らに数的有利にたってほしい。そうすれば、彼はボールをパスすることはできないからね」この決定の迅速性は、彼が、早くからこのフォーメーションを考えていたのかもしれないという思いを俺に強めた。

それと同じセットアップは、トリノで行っていた。けれども、あれは、純粋にディフェンシブな戦略のためだった。「OK」心の片隅で思った。「45分、手遅れだ。しかし、俺たちは、最終的には目標を達成したんだ」こういう状況で、それはまだ、勇敢な手立てだった。

シセとハマンと一緒に、登場する準備をしている時、一つだけ問題があった。「ラファ、今そこに12人の選手がいると思うんですが?」ジブリルは、彼の披露まで、もう少し長い間待たなければならなかった。

俺たちが、俺たちの荒涼としたドレッシングルームから外に出た時、彼の後にチームを率いているマルディーニの顔に冷酷な決意を見ることによって、俺は勇気付けられはしなかった。

ゲームの後、ハーフタイムにミランのロッカールームでの早すぎるセレブレーションに苦情があった。あのようなうそっぱちに、彼らに代わって、俺は憤慨した。トラオレは、ゲームの後、3-0でイタリア人たちはうぬぼれていたとそれとなくほのめかすインタビューをしてしまった。しかし、俺は、彼の答え方は、世間知らずだったと思う。そのため、それは、新聞による作り話にもて遊ばれてしまった。

そんなことは、断じて起こらなかった。ミランは、あまりにもプロフェッショナルだった。すべての経験を持つ彼らのキャプテンが、何人も、彼らのドレッシングルームにおいて、勝利を当たり前と思うことを許す事は、決してなかっただろうから。ミランが、シャンパンをすでに開けていたことを意味するものを、俺は何も見なかった。それを意味していたとしてさえ、俺は彼らに、非常に大きな尊敬を抱いている。彼らが、その両手にカップを掲げる事を信じて、それを行っていたとしても、誰が彼らを非難できるだろう?

俺がアリーナに再び向かった時、俺はミランが勝つだろうと確信していた。イスタンブールには、4万人のScousersがいた。何故彼らは、それを信じるべきではなかったのに信じてしまったんだろう?俺は、遠くに"You'll Never Walk Alone"を聞くことができた。そして、俺がトンネルを出ようとした時、その声は、より大きくなったんだ。けれども、それは、俺らのアンセムの普通のバージョンではなかった。KOPが、Gerry Marsdenのクラッシック(YNWA)を振り絞る時、異なる見せ場がある。すべてのホームゲームの前のそれは、耳をつんざくような”ときの声”だ。まるで、俺たちのパフォーマンスを鼓舞し、対戦相手を屈服させて従わせるような。もしも、俺たちが、飛び切りのビッグゲームの最終段階で勝っているなら、今度こそはお祝いに、再び、それは歌われるだろう。

しかし、その曲の言葉には、より偉大な意味を持つ、もう一つの場面がある。イスタンブールでハーフタイムに、ファンは、それを信念よりももっと同情して歌っていた。それは、スローで悲しいサウンドだった。ほとんどそれは、賛美歌として歌っているようだった。ファンは、確実に、俺たちに代わって祈っていた。

俺にとって、それは、サポーターが「俺たちはまだ、おまえたちがしたことを誇りに思っている。俺たちはまだ、お前たちと一緒にいる。そして、お前たちの頭を下げないでくれ」と言ってるように聞こえた。おそらく、そこにも警告のヒントがあった。俺のポジションに歩いて帰りながら、犯罪の旅のように感じていた。「お前たちがすでにした以上に、俺たちを暗い気持にさせないでくれ」という。

俺たちのコーチAlex Millerの俺たちへのハーフタイムの最後の指示は、「ファンのために1ゴール決めろ」だった。

1ゴールを決めたら、プライドが復活するかもしれない。俺たちは、そんな風に思ったんだ。

あの試合は、選手にとっても、サポーターにとっても、そしてラファにとっても、本当に大きな試合だったように思います。中でも、就任1年目のラファにとって、あの試合があったからこそ、選手にもサポーターにも信頼されるようになったと思われ、もしあれがなかったら今頃・・・なんてね(爆)。

かめさんが、ミラーに載ってた同じ自伝の記事を3つすでに訳してくださってます。
その1ハマン東京の夜 その2
3つともとっても面白いので、ぜひ!かめさんも書かれてるように、キャラとキャプテンが現役の内に、プレミアの優勝を味わえるといいなと思います。で、この自伝は、口述筆記かな?細かく綿密な思考っていうのかな?がちょっと意外な感じですが(スマン)、ラファに対する見方などをみても(かめさんの 'その2' の記事で特に思った)、キャラ自身がなりたいと言ってる指導者の資格、充分あり!と思いました(まあ、私に言われてもね。ははは;)。